大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(オ)1210号 判決

上告人

興亜海運株式会社

右代表者

田村駒吉

右訴訟代理人

渡部史郎

被上告人

向瀬漁業株式会社

右代表者

向瀬ハルエ

被上告人

菅原利一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

一上告代理人渡部史郎の上告理由第二について

1 他の船舶との衝突事故により沈没した船の所有者が、右沈没船を除去すべき法令上の義務を課され、これを履行することによつて被つた損害は、右事故と相当因果関係のある損害というべきであるから、右沈没船の所有者が、相手方船舶の所有者等又は船長等に対して有する右損害の賠償請求権は、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(昭和五七年法律第五四号による改正前のもの。以下「法」という。)三条一項二号所定の同項一号に掲げる物及び当該船舶以外の物の滅失若しくは損傷による損害に基づく債権に該当すると解するのが相当であり、したがつて、相手方船舶の所有者等又は船長等は、右損害賠償請求権につきその責任を制限することができるものというべきである。

これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係は、(1) 上告人所有の第三興亜丸と被上告人向瀬漁業株式会社(以下「被上告会社」という。)所有の第八榮保丸とが、昭和五四年四月二二日、稚内港検疫錨地において、第八榮保丸の船長である被上告人菅原利一の操船上の過失によつて衝突し、第三興亜丸は沈没した、(2) 被上告会社は、法一七条に基づき、本件事故により生じた損害に基づく債権につき、被上告人菅原を受益債務者として、旭川地方裁判所に対し責任制限手続開始の申立をし、昭和五四年一〇月二九日、責任制限手続開始の決定がされ、この決定は確定した、(3) 上告人は、沈没した第三興亜丸につき、稚内港長がら港則法二六条による除去命令を、また、稚内港湾管理者の長である稚内市長から港湾法一二条一項及び稚内市港湾管理条例八条による撤去命令をそれぞれ受けたため、サルベージ会社に請け負わせて右沈没船を事故現場から除去させ、その費用として三九〇〇万円を支払つた、(4) 上告人は、本訴提起に当たり上告代理人に対し訴訟委任手数料として二〇〇万円を支払つたほか、相当額の成功報酬の支払を約したが、そのうち本件事故と相当因果関係があるのは一〇〇万円である、というのである。右事実関係によれば、上告人は、被上告会社に対しては商法六九〇条に基づき、被上告人菅原に対して民法七〇九条に基づき、本件事故によつて被つた前記沈没船除去費用相当額及び弁護士費用相当額の合計四〇〇〇万円の損害賠償請求権(以下「本件損害賠償請求権」という。)を取得したものというべきところ、これらは、法三条一項二号所定の同項一号に掲げる物及び当該船舶以外の物の滅失若しくは損傷による損害に基づく債権として制限債権に該当するというべきである。

2  所論は、「海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約」(昭和五一年条約第五号、以下「条約」という。)一条(1)(c)は、難破物の除去に関する法令によつて課される義務又は責任を原因として生ずる債権につき海上航行船舶の所有者がその責任を制限することができるものとしているが、我が国は、同条約の署名議定書(2)(a)に基づき、条約批准の際に条約一条(1)(c)の規定の適用を排除する権利の留保をし、法は右の債権を制限債権としていないところ、上告人の被上告人らに対する本件損害賠償請求権は、同(c)に当たり、したがつて、右留保により法が制限債権としなかつたものに当たるというのである。

条約一条(1)(c)が所論の規定を設けていること、我が国が条約批准の際に右規定の適用を排除する権利を留保し、法が所論の債権を制限債権としないことは所論のとおりである。しかしながら、同(c)所定の難破物の除去に関する法令によつて課される義務又は責任は、自己の責任を制限することができる海上航行船舶の所有者がその義務又は責任の主体となるものをいうのであつて、自己の責任を制限することができる船舶所有者等及び船長等以外の者が、法令により難破物除去の義務又は責任を課され、これを履行することによつて被つた損害について右船舶所有者に対してその賠償を求める債権は、同(c)所定の難破物の除去に関する法令によつて課される義務又は責任を原因として生ずる債権に当たるものではなく、むしろ、条約一条(1)が海上航行船舶の所有者においてその責任を制限することができる債権として定めるもののうち、同(b)所定の同(a)に規定する財産以外の財産の滅失若しくは損傷を原因として生ずる債権に当たるものと解するのが相当である。そして、我が国が条約批准に際し条約一条(1)(c)の規定の適用を排除する権利を留保し、法がこれを制限債権としなかつたのは、難破物の除去に関する法令によつて難破した船舶の所有者等に対して課される義務又は責任を原因として生ずる債権を制限債権とすると、難破した船舶除去の代執行の費用が制限債権となり、右船舶所有者等にとつては自発的に除去しない方が有利となるため、その義務又は責任の履行が円滑に行われなくなるおそれのあることに主たる理由があつたものである。

このような条約の規定の内容並びに右の留保の理由及び立法上の考慮に鑑みると、自己の責任を制限することができる船舶所有者等及び船長等以外の者が、法令により難破物除去の義務又は責任を課され、これを履行することによつて被つた損害について右船舶所有者に対して賠償を求める債権は、右の留保に基づき法が制限債権としなかつたものに当たらないというべきである。また、条約六条(2)、(3)によれば、制限債権に関する条約一条(1)の規定は、船長にも適用があるとされているから、右と同様の理由により、自己の責任を制限することができる船舶所有者等及び船長等以外の者が、法令により難破物除去の義務又は責任を課され、これを履行することによつて被つた損害について右船舶の船長に対して賠償を求める債権も、法が制限債権としなかつたものに当たらないというべきである。

そうすると、上告人の被上告人らに対する本件損害賠償請求権は、条約一条(1)(c)に当たらないことが明らかであり、したがつて、前記の留保により法が制限債権としなかつたものに当たらないというべきである。

3  以上によれば、原判決が、本件損害賠償請求権は法三条一項二号所定のその他の権利に対する侵害による損害に基づく債権に該当するとした点は誤りであるが、本件損害賠償請求権は法三条一項二号所定の制限債権に該当するものであつて、前記の留保により法が制限債権としなかつたものに該当しないとした結論は正当であるから、原判決に所論の違法はないことに帰する。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

二同第三について

法第二章の規定が、公共の福祉に適合するものとして、憲法二九条に違反しないことは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁昭和五三年(ク)第七七号同五五年一一月五日大法廷決定・民集三四巻六号七六五頁)、また、右判例の趣旨に照らし、右規定が憲法一四条に違反するものでないことも明らかである。右と同旨の原審の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

三同第一について

所論のとおり、既に本件船舶所有者等責任制限手続の終結決定がされているとすれば、上告人の本訴請求は棄却を免れないのであつて、右手続の廃止を条件として上告人の本訴請求を一部認容した原判決のうち、右条件を付した部分の違法をいう論旨は、上告人にとつて上訴の利益のない事項について原判決を非難するに帰し、上告適法の理由に当たらない。

よつて、民訴法四〇一条、三九六条、三八四条二項、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(鹽野宜慶 木下忠良 大橋進 牧圭次 島谷六郎)

上告代理人渡部史郎の上告理由

第一、原審判決は、無効である。

原審は、

一、原判決を次のとおり変更する。

1 控訴人らは、被控訴人に対し、旭川地方裁判所昭和五四年(船)第一号船舶所有者等責任制限事件の責任制限手続廃止のときに限り、各自金四、〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 被控訴人のその余の請求を棄却する。

二、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決を言渡した。

右原審判決は、旭川地方裁判所昭和五四年(船)第一号船舶所有者等責任制限手続廃止を停止条件として控訴人ら(被上告人ら)に主文記載の金員の支払いを命じているものである。

旭川地方裁判所は右船舶所有者等責任制限事件について昭和五五年六月三日に責任制限手続を終結したこと及び責任制限手続の終結したことを昭和五五年六月一九日付官報に掲載して公告したことは公知の事実である。

原審判決は、責任制限手続廃止を停止条件としているが、原審判決言渡時、既に右条件は不成就が確定していたことが明らかである。

条件が不成就に確定している場合にそれが停止条件ならば無効である。(民法第一三一条第二項参照)。

よつて、原審判決は条件の不成就が確定しているのに、これを停止条件としているから、原審判決は無効であり、到底破棄を免れないものであると思料する。

第二、原審判決は、法令の解釈適用を誤つた違法がある。

原審判決は、上告人(被控訴人)の被上告人ら(控訴人ら)に対する沈没船舶除去費用の損害賠償債権及び弁護士費用は船舶所有者等の責任の制限に関する法律(以下船舶責任制限法という。)第三条第一項第二号の制限債権に該当する旨判示している。

船主責任制限法は、我が国で批准した海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約を国内法化したものであり右条約第一条第一項(c)で、いわゆる難破物責任に基づく債権(沈没し、乗り揚げ又は放棄された船舶の引揚げ、除去又は破壊につき難破物の除去に関する法令によつて課される義務又は責任)を制限債権に含めているが、その署名議定書第二項(a)で右条約第一条第一項(c)の規定の適用を排除する権利の留保が認められており、我が国は、これを制限債権とすると船舶所有者が船体の除去を行わず、やむをえず行政庁が代執行を行つた場合に責任制限により船体除去費用の全額を回収することができなくなるおそれがあるばかりでなく、船舶所有者が僅かな罰金を払うことにより船体除去等の義務の履行を免れようとする気運を助長し、自主的に除去を行なつた者との公平を失することとなり、かえつて難破物除去義務の履行が円滑に行われなくなるおそれがあること、難破物除去には通常莫大な費用がかかることから他の被害者に対する賠償額が少なくなること、外国においても留保している国がかなりあること等を考慮してその留保をなし、制限債権とはしないことにしたものである。

もし、沈没船舶除去費用の損害賠償債権を船主責任制限法第三条第一項第二号の制限債権であると解するならば、受益債務者である被上告人らの責任制限手続において賠償を受けることとなり、そうなれば我が国が右条約第一条第一項(c)の規定を留保した理由即ち、他の被害者に対する賠償額が少なくなることを考慮した趣旨を没却することになるといわなければならない。

沈没船舶除去費用に関する債権を沈没船舶の所有者に対してのみ非制限債権であると、限定し、その求償権を制限債権であるとしなければならない合理的理由は何も存しない。

仮に沈没船舶除去費用に関する債権を沈没船舶の所有者に対する関係にのみ非制限債権であるとし、その求償権を制限債権であるとするならば、沈没させられた本件被害船舶の所有者である上告人は沈没船舶除去費用の金三、九〇〇万円を除いても、本件による損害は金九、四七七万余円に対して責任制限手続において金二〇四万七、五一六円の賠償を受けたのみで、実質損害は約九、二七三万円にのぼつており、他方本件加害船舶の所有者らである被上告人らは自船の沈没もなく船体の被害も軽微であり、責任制限手続において、その責任限度額を僅か金六九〇万円に限定されたものであつて、加害者側の損失よりも被害者側の損失が著しく大であり、しかも沈没船舶除去費用まで被害者側に負担させることは著しく公平の観念に反するといわざるをえない。

難破物除去費用の損害賠償債権は、その損害が難破物の除去に関する法令上の義務に基づいて生じたものであることは明白であり、その債権自体は私法上の損害賠償債権ではあつても、難破物除去に関する法令によつて課される義務又は責任である難破物責任に基づく債権であり、船主責任制限法第三条第一項第二号には該当しない非制限債権であると解すべきである。

また、本件沈没船舶除去費用の損害賠償債権が非制限債権であるから、本件弁護士費用も非制限債権である。

よつて、本件各債権はいずれも非制限債権であり、被上告人らは上告人に対し無条件に支払うべき義務があるのに、原審判決は船主責任制限法第三条第一項第二号の解釈適用を誤り本件各債権を制限債権であるとして責任制限手続を廃止条件にして支払いを命じた違法があるので、右判決は破棄を免れないものと思料する。

第三、前記沈没船舶除去費用の損害賠償債権を制限債権であると判示した原審判決は、被害者よりも加害者を不当に保護することとなり著しく公平を失し、正義、平等の観念にも反するもので、憲法第一四条、第二九条に違反するものである。

前述した如く被害者側である上告人の実損害は金九、二七三万余円(沈没船舶除去費用を除く金額)であるのに対して加害者側である被上告人らは僅か金六九〇万円を出捐したのみで免責されており、その上に一方的重過失による被上告人らには沈没船舶除去費用の損害賠償債権を制限債権であるとし、無過失の上告人にその費用を全部負担させることが船主責任制限法第三条第一項第二号の規定するところであると解するならば、右規定は著しく公平を失し、正義、平等の観念に反し憲法第一四条、第二九条に違反するものといわなければならない。

原審判決は、船主責任制限法の規定は、巨額の資本を投下した船舶によつて危険を伴う航海をなす国際的性格の強い海運業の特殊性等に鑑みて公共の福祉に適合するとみられるから憲法第二九条に違反しない旨判示して昭和五五年一一月五日最高裁決定(民集三四巻六号七六五頁)を引用しているが右最高裁決定は船体分と積載貨物分の損害についての責任制限手続に関する事案であり、沈没船舶除去費用の損害を含むものではないので、本件と事案を異にするものである。

沈没船舶除去費用の損害賠償債権を非制限債権とするならば前記条約第一条第一項(c)を留保した趣旨にも適合し、右最高裁決定の判旨も首肯できるが、右損害賠償債権を制限債権であるとするならば、加害者である海運業者の被上告人らのみを不当に保護することとなり、被害者である海運業者の上告人は全く無視される結果となり公共の福祉に反することは勿論、特殊性の強い海運業間の公平、平等に損害を分担させようという趣旨にも反することになり憲法第一四条、第二九条に違反するといわなければならない。

よつて、沈没船舶除去費用の損害賠償債権及び弁護士費用を制限債権であり、これを合憲とした原審判決は憲法の解釈適用を誤つた違法があり、破棄されるべきものであると思料する。

第四、結論

叙上のとおり原審判決は違法なものであり到底破棄を免れないものと思料し、更に適正な判決を求めるため、本上告に及んだ次第である。

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